Interview

伝統は「守る」だけじゃない。発酵デザイナー・小倉ヒラクが考える、書道の可能性

小倉ヒラク

目に見えない微生物の働きをデザインで可視化し、各地の発酵文化を伝えてきた発酵デザイナー・小倉ヒラク。近著『僕たちは伝統とどう生きるか』では、暮らしに根ざし、変化しながら受け継がれる「小文字の伝統」に光を当て、伝統との新しい向き合い方を問いかける。

そんな彼が今回、筆をとって書いたのは「發酵」の二文字。漢字に宿る音や質感、書くことに込められた祈り、そして暮らしの中に息づく文化。「伝統」は、ただ守り続けるものなのだろうか。発酵と伝統を手がかりに、これからの書道の可能性を考える。

取材・執筆:内田伸一、撮影:こまつこうへい、編集:丸田武史

発酵デザイナー・小倉ヒラクが書く「發酵」

──まずは、小倉さんがどのようなお仕事をされているのか、教えてください。

小倉ヒラク:僕は「発酵デザイナー」という仕事をしています。もともとはデザイナーでしたが、体を壊したときに発酵学の先生と出会い、「あなたは体が弱いから発酵食品を食べなさい」と勧められて。そんなふうに、体調をきっかけに発酵に興味を持つ人は結構多いのですが、僕の場合は健康面だけでなく、発酵の仕組みや文化的な側面に惹かれていったんですね。

──発酵を、食だけでなく、文化として捉えるようになったというか。

小倉ヒラク:そうですね。もともと文化人類学やグラフィックデザインに関わっていたことや、生物学が好きだったことも関係していると思います。そこから日本や世界各地の発酵文化を調べ、人間と微生物がどのように関わり合い、文化を生み出してきたのかを探ることが、僕の仕事になっていきました。

――現在は執筆活動のほか、各地の発酵食品を集めた「発酵デパートメント」の運営もされていますよね。先ほど、書いていただいた言葉も「發酵(発酵)」でした。

小倉ヒラク:今回、「發酵」という言葉を選んだのは、それ以外ないでしょ、という感じですね(笑)。実は、この漢字自体も面白いんです。今回は繁体字(中国語で使われる、伝統的な字形を保った漢字)で書きました。「發」には「弓」のような形が含まれていて、何かが勢いよく世に放たれるようなイメージがあります。新しい生命が生まれるような、ダイナミックな意味が込められた字なんですね。

──私たちが普段使っている「発」とは、印象がずいぶん違いますね。

小倉ヒラク:そうなんです。そして「酵」も、左側の「酉(とりへん)」が奥深い。「酉」はもともとお酒を入れる甕(かめ)をかたどった文字で、古くから発酵と深い関わりがあります。一方で、この形は、亡くなった人を埋葬する「甕棺(かめかん)」にも重なります。

──お酒を入れる甕(かめ)と、人を埋葬する甕。意外なつながりですね。

小倉ヒラク:古代には、生命は死んで終わるのではなく、再びよみがえるという考え方がありました。例えば、穀物が発酵によってお酒やパンに生まれ変わることも、生命が新たな姿でよみがえるようなもの。そう考えると、「發酵」という二文字にも、生命の力強さや循環が感じられるんですよね。

漢字には、「音」も「質感」もある

──小倉さんは、もともと漢字がお好きだったのでしょうか。

小倉ヒラク:子どものころはそうでもなくて、生き物や工作が好きでした。高校時代からバックパッカーとして海外を旅するようになって、アルファベット中心の世界に触れたとき、漢字ってヤバくねえ?と、気づいたんです(笑)。
漢字って「絵」でもあるから面白い。単なる記号ではなく、一つの文字の中に世界観が詰まっている。今もこれだけ多くの人に使われている、絵としての成り立ちを持つ文字は珍しいと思うんです。

──そうした漢字への興味は、デザイナーとしての仕事にもつながっていったのでしょうか。

小倉ヒラク:そうですね。20代半ばのころ、大好きなエディトリアルデザイナー・杉浦康平さんの講演会で質問したことがあって。杉浦さんのデザインって、文字をわざと読みづらくしたり、ノイズを入れたりすることがある。当時の僕は、エディトリアルデザインとは読みやすくするものだと思っていたから、「なぜ、こういう仕掛けをするんですか?」と聞いたんです。すると杉浦さんは少し考え込んでから、「文字って、もともとは声だからね」と答えてくれて。

──文字は「声」。先ほどの「絵」とは、また違った捉え方ですね。

小倉ヒラク:その言葉でさらに漢字が好きになったんです。文字は記号として考えれば、決まった形で書けばいい。でも、手で書いたり、書体を変えたりすると、その文字の「音の聞こえ方」が変わる。例えば同じ「水」という文字でも、メコンデルタの茶色い水、水琴窟(すいきんくつ)で音を響かせる水滴、アルプスから流れる冷たい水では、それぞれ音も質感もまったく違う。だから杉浦さんの言葉をきっかけに、文字の形だけでなく、そこから生まれる感覚も意識するようになったんです。

――今回、実際に筆をとって「發酵」と書いていただきましたが、いかがでしたか。

小倉ヒラク:普段からスケッチやメモを書くときに筆ペンはよく使っています。でも、こうして硯(すずり)で墨を磨る「事前準備」もいいですよね。その時間の中で、文字を書く自分をイメージできるというか。

――そして書き続けていくうちに、文字が変化していきましたね。

小倉ヒラク:最初はやっぱり、文字として正しく書くことを意識していました。でも、だんだん「音」がちゃんと鳴るように書こうという気持ちになって、字もかなり変わっていった。そもそも発酵って、すごくダイナミックな現象なんです。その質感を文字でも表現したくて、繰り返し書くうちに、だんだん読みづらい字になったかもしれない(笑)。でもそれは、さっきの杉浦さんの話に近づいていった感じがします。

文字を書くことは「呪術」だった!?

――ところで、漢字にまつわる文化は、国や地域によっても違いがあるのでしょうか。

小倉ヒラク:僕は発酵食品の調査で、中国などの漢字圏にもよく行くんです。今の中国では簡体字(漢字の字形を簡略化した字体)が主流ですが、伝統的な集落に行くと、節句に合わせて縁起の良い言葉を紙に書き、家の前に貼り出す習慣が残っています。そういうときは、普段使っている簡体字ではなく、昔ながらの字形を残した繁体字で書かれているんです。文字を書くことに、単に意味を伝えるだけではない、そこにはある種の「呪術的な役割」があるわけですね。

――「呪術的」というと少し難しく聞こえますが、魔除けや、福を呼び込むような意味合いでしょうか?

小倉ヒラク:そうですね。僕が中国で見たのは、悪い神様が入ってこないようにとか、良い気を呼び込んで財産が増えますようにとか、そうした願いを長い紙に書いて貼り出す習慣でした。例えば、「自然の営みを受け入れ」「お金が貯まる」みたいな言葉を、決まった形式に沿って書くんです。それを節句が変わるたびに書き直す。そういった文字を書くことが、暮らしの中で意味を持っているんですよね。

――日本でも、書き初めなどに通じるものがありそうですね。

小倉ヒラク:そうですね。茶室に掛け軸を飾ることなども、もともとは呪術的な意味合いがあったのかもしれません。かつての日本にも、願いを込めて文字を書き、掲げる習慣はたくさんあったはず。ただ、そうした漢字の呪術性は、戦後だいぶ失われたように感じます。大切なのは、文字を書くことが社会の中でどんな役割を果たしているか、ということなんだと思います。

――文字を書くこと自体に、意味や役割があったということですね。

小倉ヒラク:遡れば、漢字の古い形である甲骨文字も、亀の甲羅などを使った占いの記録から生まれたもの。文字には、昔から人々の願いや祈りと結びついてきた歴史がある。だからこそ、漢字や書道には、単なる情報伝達を超えた文化が受け継がれているんだと思うんです。

「伝統」は、もっと身近なところにある

――小倉さんの著書『僕たちは伝統とどう生きるか(講談社現代新書)』では、権威や決まった形式を重んじる「大文字の伝統(TRADITION)」と、暮らしに根ざした多様な「小文字の伝統(tradition)」という考え方が印象的でした。

※「大文字の伝統」は、「こうあるべき」という強い規範のもと、権威や秩序を維持しようとする伝統。一方、「小文字の伝統」は、「こうあってほしい」という自律的な願いをもとに、多様性を受け入れ、変化しながら続いていく伝統を指す。

小倉ヒラク:この本を書こうと思った理由は2つあります。ひとつは、日本のものづくり文化を見ていると、伝統って僕たちの日常生活と深く結びついているんですよね。
例えば、岡山のジーンズ、新潟の金属製品、福井県鯖江市の眼鏡づくり。こうした産業が特定の地域で盛んなのにも、受け継がれてきた技術や歴史がある。でも、そういう身近な伝統には、あまり名前がつけられていないんじゃないかと思ったんです。そこから「小文字の伝統(tradition)」という言葉が生まれました。

――伝統というと、歴史ある芸能や工芸を思い浮かべますが、実は私たちの日常にも根づいていると。

小倉ヒラク:そうなんです。もうひとつは、日本では「伝統は大事だ」と素直に言うことが、実は難しいという問題がある。明治以降、日本は近代国家をつくる過程で、伝統を国民の意識をまとめるためにも利用し、戦争や植民地支配を正当化することにもつなげてきた。そうした歴史への向き合い方や、戦後の伝統に対する複雑な感情もあって、伝統を語ること自体が難しくなっている側面があると思うんです。でも、僕は発酵文化に関わっている以上、伝統について考えずにはいられないんですよ。

――だからこそ、伝統を「大文字」と「小文字」という2つの視点から捉え直そうとしたんですね。

小倉ヒラク:そう。これまでとは違う語り方を見つけたかったんです。「大文字の伝統」の良し悪しを議論し始めるとキリがないので、まずは「小文字の伝統」が持つ可能性について考えてみませんか、と。
実際に本を出してみると、日本酒や工芸など、さまざまな伝統文化に関わる人たちから反響がありました。僕が関わる発酵文化には、権威化されずに「小文字の伝統」として続いてきた部分が多い。でも、伝統が「大文字化」したことで、かつてそれを支えてきた仕組みが、今は存続の足かせになっているケースもあるんです。

――時代が変わることで、「伝統」の仕組みがうまく機能しなくなっていると。

小倉ヒラク:かつての日本は、人口が増え続け、テレビなどの限られたメディアを通して、多くの人が同じ価値観を共有しやすい社会でした。そういう社会では、伝統を一つの大きな枠組みで守り、受け継いでいくことが機能していたんだと思います。でも今は、人口構成もメディアのあり方も、人々の価値観も変わっている。これまでと同じ方法では、伝統を受け継ぐことが難しくなってきているんですよね。

毎日の食卓にも、書道の文化は根付いている

――今のお話は、書道や習字の世界にも通じる部分がありそうです。

小倉ヒラク:もしそうだとしたら、書道が「小文字の伝統」として始まったころに、どんな役割を持っていたのかを思い出してみるといいと思います。
書道って根本的には呪術的だし、もっとわかりやすく言えば「祈り」ですよね。僕たち漢字圏の人々は、文字を書きながら祈ることができる。しかも、気の利いた言葉を考える必要もないんです。同じ言葉でも、書き方によって一人ひとりの想いを表現できるから。だから誰でも祈ることができるし、そこが書道の素晴らしさだと思います。

――ちなみに発酵も、書道も、長い歴史の中で受け継がれてきた文化ですよね。どちらも人の手を通して生まれるものですが、共通する部分はあると思いますか?

小倉ヒラク:それでいうと、発酵食品のラベルって、ほとんど書道ですからね。

――確かに。日本酒や味噌、醤油なども筆文字が多いですね。

小倉ヒラク:そうなんです。発酵食品には昔ながらの伝統がすごく残っていて、例えば日本酒のラベルをおしゃれなアルファベットに変えても、なかなかしっくりこないんですよ。
発酵で大事なのは、テクスチャー、つまり質感なんです。だから筆文字との相性がいい。味噌も醤油も日本酒も、スーパーに行って見てみてください。書道のオンパレードですよ(笑)。なぜそこに筆文字が使われ続けているのか、その意味を考えてみると面白いと思います。

――普段私たちが何気なく目にしているものにも、実は書道の文化が息づいていると。

小倉ヒラク:だから、書道を特別なお稽古事としてだけ考えるのではなく、日常生活の中でどう生かしていくかが大切なんだと思います。
さっきお話しした中国の習慣も、そうですよね。願いを書いて、家の前に貼り出す。日本でも、玄関を開けたら見えるところに、自分の思いを書いて貼り出してみるとか。文字を書くだけで終わらず、誰かに、何かに届けることで、暮らしの中に新しい意味が生まれる。そういう習慣ができたら楽しいなって思うんです。

伝統は、何度でも新しくなる

――では改めて、今の時代に自分の手で文字を書くことには、どんな価値があると思いますか。

小倉ヒラク:先ほどお話ししたデザイナーの杉浦さんは、「馬」という漢字を見ると、馬が走り去るときに、たてがみが風になびく姿をイメージできるとも言っていました。何千年も前、「馬」という文字が生まれたころの人たちは、今とはまったく違う世界を生きていたはず。だから、同じ文字を見ても、思い浮かべる景色は違うと思うんです。

――時代によってイメージは違っても、漢字を通して、当時の人々が見ていた世界を想像できると。

小倉ヒラク:そうなんです。漢字を書くことで、何千年も前の人々が抱いたイメージを追体験できるかもしれない。でも、まったく同じ景色が見えるわけではなくて、今の僕たちなりの受け止め方があるんですよね。
漢字は長い歴史の中で、少しずつ形や意味を変えながら受け継がれてきた。だからこそ、今の僕たちが新しい楽しみ方を見つけてもいい。そう考えると、もっとカジュアルに、現代の暮らしに合った書道の楽しみ方もあるんじゃないかなって。

――書道も、伝統を受け継ぐだけでなく、今の時代に合った楽しみ方を見つけられるかもしれないと。

小倉ヒラク:ちょっと話は変わりますが、今、パリやロンドンで「金継ぎ」が流行ってるって知ってます? 先日パリに行ったとき、現地の女性が「金継ぎにハマっている」と話してくれたんです。なぜ好きなのか聞いてみたら、「あれは女性の人生のメタファーだから」と言うんですよ。

――女性の人生のメタファー?

小倉ヒラク:そう。フランスには、女性は年齢を重ねることで、より美しくなるという価値観があるそうです。一方、金継ぎは、割れたり傷ついたりした器を修復し、新たな美しさを生み出すものですよね。

――でもそこには、器を直す以上の意味があると。

小倉ヒラク:そうなんです。金継ぎはもともと、貴重な器を修復して使い続けるための技術だった。でも彼女は、傷ついたものを継ぎ直し、新しい価値を加えることを、自分自身の人生と重ね合わせていた。その解釈がすごく面白かったんです。

――まさに新しい意味を見出すことで、伝統にもまた違った価値が生まれると。

小倉ヒラク:今のはあくまで例ですが、書道にも、同じような可能性があると思うんです。もともと書道が持っていた祈りや願いを込めるという意味が、現代の暮らしの中で新しい形を見つければ、面白いムーブメントになるかもしれない。だから、そのためのキーワードはやっぱり、「書道は呪術!」だなって、僕は思うんですよね。

プロフィール

小倉ヒラク

1983年東京都生まれ。発酵デザイナー。早稲田大学で文化人類学を、東京農業大学で発酵学を学ぶ。目に見えない微生物の働きや各地の発酵文化を、デザインを通して伝える活動を展開。東京・下北沢と山梨・甲州市で、発酵食品専門店「発酵デパートメント」を運営する。著書に『発酵文化人類学』『日本発酵紀行』『僕たちは伝統とどう生きるか』など。

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